モンゴル・ウランバートルの町(教授 富山栄子)
大学間協定の仕事で、9月末~10月初めにかけて、モンゴルのウランバートルへ行ってきました。
まずは、空港で、麻薬犬と徹底的な荷物検査のお出迎え。
飛行機から降りてから、手荷物を全部、すみからすみまで、全員分を人海戦術でチェック、加えて、麻薬犬によるチェック。迷彩服の警察官がやまほど。時間がかかり、結構大変でした。
後で聞いたところでは、韓国・中国からの便は麻薬が持ち込まれるケースがあるので、こうした検査をやっているのだそうです。成田からの直行便はこうした検査はないのだそうです。今、モンゴルでも麻薬が広がっているそうです。
ちなみに、帰国した成田空港でも麻薬犬がいました!
モンゴルにいちばん多く出張に来るのが、中国人、次が韓国人、ロシア人、アメリカ人、日本人の順番だそうです。どの新興国も、中国人と韓国人が多いです。直接投資も中国、韓国が多いそうです。
空港から市内のホテルまでの道路は、でこぼこでした。
ロシア、中国でも空港から市内への道路だけはかなり良いので、モンゴルはその点、財政的な厳しさを実感しました。これで冬にマイナス40度になったら、どんなに恐ろしいだろうと思いました。
モンゴルは1921年の社会主義革命・建国以来、旧ソ連の政治経済の枠組みのなかにありました。1990年に人民革命党が一党独裁を放棄し、1992年直接選挙による大統領選出、個人所有が認められるようになりました。
街の建物は、ロシアの地方都市のようでした。
ホテルのフロントの英語能力は抜群。インターネットも無線LANが使えました。最近、ウランバートル市内では、無線ランが使える市内バスが走っているんだとか。この面では進んでいます。
サービスはどうかといえば、いまひとつです。旧国営デパートに少し立ち寄りましたが、店員は、暇なときはおしゃべりばかりしていて、お客さんに全然注意が向いていません。これが、モンゴルNo.1のデパートだそうですから、サービスではまだまだだと感じました。
計画経済から市場経済への急激な移行は、モンゴルでも大きな経済混乱を生み出しました。1990年代前半は、これまで依存していた旧ソ連からの経済支援と東欧圏からの輸入が途絶え、物不足。国営企業を民営化する際に人員削減が行われ、企業倒産があいつぎ失業者が増加。財政難から社会保障制度が切捨てられ物価上昇も伴い社会不安。95年から経済成長プラス。中国、韓国から物資流入、物不足解消。しかし、物価上昇による給与や年金額が追いつかず・・・。
モンゴルの先生の話では、ごく一部の富裕層(3~5%)と 50%の貧困層の構図だそうです。これもロシアと一緒です。
主な輸出品目 銅、金、石油、カシミアなどの牧畜産品
輸入品目 石油製品、自動車、機械設備、日用雑貨、医薬品。
一次産品に頼った経済構造です。これもロシアと一緒です。
富裕層が暮らす地域には、豪華なマンションや大変豪華な一戸建て住宅が多数見られました。韓国やアメリカへ働きにいって、送金してもらって、こうした物件を購入している人達も多いのだそうです。
また、1階にルイヴィトンやシャネルなどが入っているビルの最上階には、大変綺麗な東京並みのレストランがありました。ここで、モンゴルの富裕層は家族で食事をエンジョイしていました。貧富の格差がここでも大きいです。
最上階のレストランから、ウランバートル市内が一望できました。とても綺麗です。
地方では現金収入がないので、みな、首都であるウランバートルに移住してきているそうで、ご覧の通りビルと住宅がビッチリ立ち並んでいます。
国家の人口が270万人、うちウランバートルで100万人の人口だそうです。